タオル1枚と清原和博氏が埋めた空白「自分のチーム」が生んだ幸せな勘違い

 1985年。あの夏も僕は野球を見ていました。軽量鉄骨造、2Kのアパートに両親と3人暮らし。それまでは宮城県仙台市内にあるマンションの高層階で暮らしていたものが、両親の実家がある岩手県に急に転居することになり、薄い鉄板の階段がやかましい「犯人の住むアパート」のような建物の2階に移り住んだのです。部屋の外に置く洗濯機。歩くだけで下の階から苦情がくる息苦しさ。親子が肩を寄せ合う暮らしでした。

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 幼くて当時は何もわかっていませんでしたが、何やら起きていたのだろうと今になってみればわかります。面倒臭がりで出不精の母親は家を出てパートを始め、父親は逆に家にいる時間が増えました。母親がプランターで枝豆とプチトマトとイチゴを育て始めたのもその頃でした。当時よく食べていたオヤツは、サンマの背骨をカリカリに焼いて噛み砕けるようにしたもの。「カルシウムが摂れる」と母親は言いましたが、それは「骨せんべい」というよりは「骨」でした。

 エアコンなどありはしなかったので窓を開け、アリの観察をして過ごした夏休み。旅行や遊びに出掛けることもなく、「つく……(中略)……

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(フモフモ編集長)

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